タイトル

天皇と〜の武士の組み合わせ


<語呂合わせ>
滝に打たれて来たかしら。言葉にしにくい。

<解説>
滝(滝口の武士)に打た(宇多天皇)れて来た(北面の武士)かしら(白河天皇)。言葉(後鳥羽天皇)にし(西面の武士)にくい。滝口の武士は、宇多天皇の世であった9世紀末から、蔵人所の下で内裏の警護にあたっていた武士のことを言います。清涼殿東庭北東の「滝口」と呼ばれる御溝水(みかわみず)の落ち口近くにある渡り廊を詰め所にして宿直したことから、清涼殿警護の武者を「滝口」と呼ぶ様になりました。射芸に長じた者が推挙されたそうで、あの平将門もかつては滝口の武士だったそうです。北面の武士は上皇に仕え、身辺の警衛あるいは御幸に供奉した武士のことを言います。11世紀末に白河上皇が院政を開始した折に創設されました。院御所の北面を詰所としていたために、こう呼ばれます。西面の武士は、鎌倉時代に上皇に仕え,身辺の警衛・奉仕などにあたった武士集団のことです。1200年頃、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の軍事力に対抗して結成しました。院御所の西面を詰所としていたために、こう呼ばれます。ちなみに、1221年の承久の乱では上皇軍として参戦したそうですが、1か月ほどで鎮圧されたとか。

<投稿者>
あきさん
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