タイトル

明治の条約改正の担当者の順番


<語呂合わせ>
ガンジーの顔のくま青いけどむっちゃ熟睡

<解説>
ガン(岩倉具視)ジ(寺島宗則)-の顔(井上馨)のくま(大隈重信)青(青木周蔵)いけどむっ(陸奥宗光)ちゃじゅ(小村寿太郎)く睡。ここでいう条約改正は、安政年間に日本と諸外国との間で結ばれた不平等条約(安政五カ国条約)を改正するための外交交渉のことです。まず、1871年(明治4年)岩倉使節団が欧米に派遣されました。1878年(明治11年)には、外務卿寺島宗則が税権回復を中心とした交渉を行いました。1885年(明治18年)に内閣制度が発足し、伊藤博文内閣の外相井上馨は鹿鳴館に代表される欧化政策を行いつつ条約改正交渉を進めましたが、頓挫。黒田清隆内閣の外相大隈重信は1888年(明治21年)に交渉を再開しますが、これも頓挫。山県有朋内閣で外相青木周蔵が交渉を再開しますが、再び頓挫。第二次伊藤内閣で陸奥宗光が外相となり、駐英公使の青木周蔵を交渉に当たらせ、1894年(明治27年)に英国と日英通商航海条約の調印に成功し、治外法権制度を撤廃させました。その後、1911年(明治44年)、第二次桂太郎内閣の外相小村寿太郎が日米修好通商条約を改訂した日米通商航海条約に関税自主権を盛り込んだ修正条項に調印し、ようやく条約改正が達成されました。

<投稿者>
ゆんさん
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