タイトル

奈良時代の権力者の推移ver.1


<語呂合わせ>
ひどい長屋で4人の子供、モナカどう?100円で・・・

<解説>
ひどい(不比等)長屋(長屋王)で、4人の子供(藤原四子)、も(諸兄)なか(仲麻呂)どう(道鏡)?、百円(百川)。藤原不比等は飛鳥から奈良時代初期にかけての公卿で、、大宝律令の編纂などにも関与しました。実質的な藤原氏の祖です。その後、奈良時代前半の天平年間に政権を握ったのが藤原不比等4人の息子、つまり藤原四子です。ところがこの四兄弟は737年の天然痘の流行により相次いで病死。四兄弟の子が若かったため、政権は橘諸兄(葛城王)が担うことになりました。この橘諸兄と権力を競ったのが、藤原仲麻呂です。孝謙天皇が即位すると、仲麻呂は孝謙天皇と光明皇太后の権威を背景に政権を掌握します。ところが、光明皇太后が死去し、孝謙上皇が弓削道鏡を寵愛し始めます。これを力でどうにかしようと、恵美押勝の乱を起こすのですが、逆に滅ぼされてしまいます。その後、道鏡は太政大臣禅師や法王となり、仏教の理念に基づいた政策を推進しました。恵美押勝の乱の後、衰退していた藤原氏の再興を果たしたのが、藤原百川。称徳天皇の時代のことです。

<投稿者>
鬼の勝負師さん、さいとうさん
ライン

簡単オークション*モバオク
★ハマる人続出中★


(前へ) (次へ)
(( その他の日本史語呂合わせトップへ ))
(( トップへ ))
inserted by FC2 system