タイトル


1911年
<語呂>得意な一撃,辛亥革命
<出来事>辛亥革命。清朝を倒し,中華民国を建てた中国の革命。孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で起こした反乱がきっかけとなった。

1911年
<語呂>低い位置から対等へ
<出来事>関税自主権を回復。小村寿太郎外相が日米通商航海条約改正に成功し、関税自主権を完全に回復。これによって江戸時代の末期に結ばれた不平等条約が改正された。

1911年
<語呂>工場の人(1)の苦痛(9)をいちいち(11)改めよう工場法(鬼の勝負師さんの語呂です)。お得(19)でいい(11)かも工場法(ゆんさんの語呂です)
<出来事>工場法公布。最低年齢12歳、労働時間12時間、深夜業禁止などを定めたが、15人未満の工場には適用されず、期限付きで14時間労働を認める。実施は1916年。

1912年
<語呂>得意になります第1次護憲運動
<出来事>第1次護憲運動。第二次西園寺公望内閣のあと内大臣の桂太郎が三度目の組閣をすると、「閥族打破、憲政擁護」をスローガンに数万の民衆が議会を包囲して辞職を要求するまでに発展。立憲政友会の尾崎行雄、立憲国民党の犬養毅らが桂内閣を打倒した。大正政変とも呼ぶ。

1914年
<語呂>行く意思あります? 第一次大戦
<出来事>第一次世界大戦(〜1918)がはじまる。サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を理由に参戦し、ドイツの支配する膠州湾(コウシュウワン)や青島を占領した。さらに中国の袁世凱政府には対華二十一か条の要求を突きつけた。

1915年
<語呂>得意のごり押し二十一カ条
<出来事>対華二十一カ条の要求。第二次大隈重信内閣の加藤高明外相が中国における利権拡大のため袁世凱政府に要求した。山東省のドイツ権益の譲渡などを求め5月9日に16ケ条を承認させた。中国ではこの日を「国恥(コクチ)記念日」と呼んだ。

1917年
<語呂>得意な両人,石井・ランシング協定
<出来事>石井・ランシング協定。日本の特使石井菊次郎と米国務長官ランシングとの間で締結された協定。米国は中国における日本の特殊権益を、日本は中国の門戸開放を承認。1923年の九カ国条約によって廃棄。

1917年
<語呂>得意な革命、ロシアで起こる
<出来事>ロシア革命(3月革命、11月革命)。3月革命でロマノフ王朝が倒れロシア帝国が崩壊したが、新政府は戦争を継続したのでレーニンを中心に11月革命が起こった。

1918年
<語呂>ひどく嫌なシベリア出兵
<出来事>シベリア出兵。日米英仏がチェコ兵の救出を名目に出兵。日本のみ1922年まで出兵を継続した。これをきっかけに、日本国内では米の買い占めがおき米価が急騰。米騒動が発生した。

1918年
<語呂>人、食いはぐれて米騒動。行く人は主婦、米騒動(ぬ-たまさんの語呂)。
<出来事>米騒動。シベリア出兵にともなう米の買い占めや売り惜しみが原因となり米価が急騰。富山県魚津の漁村の主婦が起こした一揆(越中女一揆)をきっかけに騒動が各地で起こった。政府は軍隊を出動させて鎮圧。米騒動の結果、寺内正毅(マサタケ)内閣が崩壊した。

1918年
<語呂>ひどく言わない原敬
<出来事>原敬の本格的な政党内閣。寺内正毅のあと立憲政友会の原敬が組閣。日本最初の本格的政党内閣。在任中、ベルサイユ条約調印、国際連盟加盟などを行ったが普通選挙には反対した。原敬は爵位を持たず「平民宰相」と呼ばれた。

1919年
<語呂>行く行くベルサイユ
<出来事>ベルサイユ条約調印。第一次世界大戦の講和条約としてパリ講和会議で結ばれたドイツと連合国の条約。ドイツに多額の賠償金を課した。日本は山東省の旧ドイツ権益の継承、南洋諸島の委任統治を認められた。日本の全権は西園寺公望(サイオンジキンモチ)。

1919年
<語呂>行く行く三・一、独立運動
<出来事>三・一運動。朝鮮の反日独立運動。京城(ソウル)で朝鮮人民が独立万歳を叫んでデモを行い全土に拡大した。日本は武力によって鎮圧。万歳事件ともいう。

1919年
<語呂>行く行く五・四運動
<出来事>五・四運動。日本が山東省の旧ドイツ権益を継承することを認めたベルサイユ条約に対して、北京の学生が反対運動を起こした。これをきっかけに、中国に反帝国主義、愛国運動が広がった。

1919年
<語呂>行く行くワイマール
<出来事>ワイマール憲法。第一次世界大戦敗北を契機として勃発したドイツ革命によって帝政ドイツが崩壊し、その後に制定されたドイツ国の共和制憲法。社会権を認めるなど民主的な憲法であることが特徴。

1920年
<語呂>特に礼をいう、国際連盟
<出来事>国際連盟の成立。アメリカ大統領ウィルソンの提唱で設立された。本部はスイスのジュネーブ。発足当初の常任理事国は英・仏・日・伊。

1920年
<語呂>特に大声あげた、第1回メーデー
<出来事>第1回メーデー開催。毎年5月1日に行われる労働者の祝日。1936年には軍国主義的風潮が高まりいったん中断。1946年に復活し現在まで続いている。

1921年
<語呂>引くに引けないワシントン
<出来事>ワシントン会議(〜1922)。アメリカ大統領ハーディングの提唱によりワシントンで開かれた国際会議。日・米・英・仏・伊・中国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9か国が参加し、海軍の主力艦の制限、極東、太平洋問題を協議した。ワシントン海軍軍縮条約、四カ国条約、九カ国条約を結ぶ。日本代表は加藤友三郎、幣原喜重郎、徳川家達(イエサト)。

1922年
<語呂>人、国に求める解放を
<出来事>全国水平社の設立。部落解放を目的とした組織。西光万吉らを中心に京都で設立され、水平社宣言を発表した。

1923年
<語呂>特に災難、大震災
<出来事>関東大震災。政府はモラトリアム(支払猶予令・30日間)を出し経済活動の混乱を防いだ。震災の混乱の中で労働運動家、無政府主義者、社会運動家などが虐殺された。震災の起こった9月1日は防災の日となった。

1924年
<語呂>とっくに知ってる第2次護憲運動
<出来事>第2次護憲運動。貴族院を背景に清浦奎吾内閣が成立すると、「特権官僚内閣反対、政党内閣確立」を唱え護憲三派が協力。普通選挙の実施、貴族院改革を求める運動を起こした。総選挙で勝利し、第一次加藤高明内閣が成立。

1925年
<語呂>特にご満足、日ソ国交樹立
<出来事>日ソ基本条約。ロシア革命後のシベリア出兵で日ソ間の国交交渉は遅延していたが、この年、北京で日ソ基本条約に調印。日ソ間の国交が樹立された。加藤高明内閣。

1925年
<語呂>行く25歳、選挙へ
<出来事>普通選挙法の成立。加藤高明内閣によって実現した衆議院議員選挙法の改正。納税資格制限を撤廃し、25歳以上の男子に選挙権、30歳以上の男子に被選挙権を認めた。

1925年
<語呂>いくつこらえる治安維持
<出来事>治安維持法の成立。ソ連との国交樹立によって社会主義思想が広まるのを恐れたため、社会主義者を取り締まることを目的として定められた。国体の変革、私有財産の否認を目的とする結社を禁止した。1928年には最高刑が死刑になった。

1927年
<語呂>重苦に泣いた金融恐慌
<出来事>金融恐慌。震災恐慌による震災手形の処理をめぐって鈴木商店、台湾銀行、十五銀行などが破産、休業。若槻礼次郎内閣が倒れ、田中義一内閣がモラトリアムで収拾。金融資本の集中をもたらす。

1928年
<語呂>特に約束、不戦の誓い
<出来事>パリ不戦条約。アメリカのケロッグ国務長官、フランスのブリアン外相が提案。日本を含め15カ国が参加、調印した。この条約によって,国際紛争を解決するため,あるいは国家の政策の手段として,戦争に訴えることは禁止されることになり,あらゆる国家間の紛争は平和的手段のみで解決を図ることが規定された。ケロッグ=ブリアン条約ともいう。

1928年
<語呂>一気に8人の無産政党員
<出来事>初の普通選挙実施。1925年の衆議院議員選挙法改正(普通選挙法)に基づいて実施された。無産政党員8名が当選した。

1929年
<語呂>特に苦しむ世界恐慌
<出来事>世界恐慌。アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに世界が同時不況に突入した。

1930年
<語呂>戦を避けるロンドン会議
<出来事>ロンドン軍縮会議。イギリスのマクドナルド首相の提唱で開かれ、海軍の補助艦の総保有量を制限。米:英:日=10:10:7とした。フランスとイタリアは反対し条約に加わらなかった。日本国内では統帥権干犯問題が起こった。

1930年
<語呂>戦を避ける統帥権干渉
<出来事>統帥権干犯問題。政府はロンドン海軍軍縮条約に調印したが、天皇の統帥権を侵害するのではないかと問題になった。

1930年
<語呂>ひどく未練の金解禁
<出来事>金解禁。金輸出禁止を解除し再び金の自由かつ無制限な輸出を認め,金本位制度に復帰することを目指した。金輸出解禁とも呼ぶ。浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相のもとで行われた。

1931年
<語呂>銃くさい、満州事変
<出来事>満州事変。奉天郊外の南満州鉄道の爆破(柳条湖(リュウジョウコ)事件)をきっかけに東三省(奉天・吉林・黒龍江)を占領し、満州国として独立させた。後に熱河省も占領。国際連盟はリットン調査団を派遣。

1932年
<語呂>戦に走る五・一五
<出来事>五・一五事件。海軍の青年将校を中心とするクーデター。犬養毅(イヌカイツヨシ)首相が暗殺された。この事件によって、第一次加藤高明内閣以来続いてきた政党内閣が終わった。

1932年
<語呂>戦になります満州国
<出来事>満州国の建国。満州事変の後、日本は清朝最後の皇帝宣統帝(セントウテイ)溥儀(フギ)を執政に迎え、満州国を建国。1934年には帝制とした。

1933年
<語呂>ひどくさみしい国連脱退
<出来事>国際連盟脱退。満州事変を調査したリットン報告書に基づいて、国際連盟総会で対日勧告案が出され採択された。これを不服とした日本代表は松岡洋右(ヨウスケ)はその場で退場。同月、日本は国際連盟を脱退した。

1933年
<語呂>人苦しみ散々,ヒトラー政権
<出来事>ドイツでヒトラーが政権をにぎる。

1936年
<語呂>いくさ無理矢理、二・二六
<出来事>二・二六事件。陸軍皇道派の青年将校を中心とするクーデター。斎藤実(マコト)内大臣、高橋是清(コレキヨ)蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害。この事件によって岡田啓介内閣は崩壊し,軍の政治的発言権が強化された。

1937年
<語呂>いくさ長引く日中戦争
<出来事>日中戦争(〜1945)。北京郊外で発生した蘆溝橋(ロコウキョウ)事件をきっかけにした日中間の戦争。第一次近衛文麿内閣は戦線不拡大を表明したが、次第に戦乱は拡大し全面戦争に突入した。

1938年
<語呂>いくさやるぞ、総動員
<出来事>国家総動員法の制定。第一次近衛文麿内閣によって公布。戦争遂行のため労務・資金・物資・物価・企業・動力・運輸・貿易・言論など国民生活の全分野を統制する権限を政府に与えた法律。議会の承認を経ずに勅令でおこなうことができるようにした。

1939年
<語呂>いくさ苦しむ第二次大戦
<出来事>第二次世界大戦(〜1945)。ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まった。

1940年
<語呂>いくよ俺たち、日独伊
<出来事>日独伊三国軍事同盟。日独伊三国のヨーロッパやアジアにおける「新秩序建設」に関して指導的地位を確認し、第3国からの攻撃に対して相互援助を協定した。これによって、日米の対立が決定的となる。

1940年
<語呂>いくよ俺たち、翼賛会
<出来事>大政翼賛会の発足。第2次近衛文麿内閣のとき組織された国民統制組織。それまでの政党は解散して翼賛会に参加した。近衛文麿首相が総裁を務めた。

1941年
<語呂>ひどく(19)よい(41)こと日ソの中立(たけいさんから頂いた語呂)
<出来事>日ソ中立条約。松岡洋右外相とソ連のモロトフ外相が調印。ソ連は独ソ戦に備え、日本は北方の脅威を除き南進をすすめた。ソ連は1945年4月に条約の不延長を通告。8月には対日宣戦した。

1941年
<語呂>いくよ一発、真珠湾
<出来事>太平洋戦争が始まる。12月8日、日本海軍のハワイ(真珠湾)攻撃により開始。ミッドウェー海戦の敗北で戦局が不利になり1945年8月ポツダム宣言の受諾で終結。日本は大東亜戦争と称した。開戦時の首相は東条英機。

1945年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>ヤルタ会談。クリミア半島のヤルタで開かれ、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが出席。第2次大戦の戦後処理やソ連の対日参戦についても討議され、ヤルタ協定を締結した。

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